仏教をのぞいた
・法事に行って納得いかないことがある。
なんで意味のわからない「お経」を長々聞かせるわけ??
ありがたいってほんと?
●いくつか本を※1 読んでわかったのは
1)お経の原典は、インドのことば(パーリ語、サンスクリット語)で書いてある
2)原典を中国で漢訳されたものが日本にもちこまれた。当然漢字ばかり。
3)漢字になってる内容は、原典を意訳した漢字のもあれば、現地語の音を
漢字に置きなおした(音写)ものもある。
4)従って、音写した部分については、漢字の意味を推し量っても意味がない。
意訳した漢字文書には、正しいものも変なものもある。
●お経がほんとうにありがたいなら、なぜわかるように言わないのか?
これについては、下記文献では直接説明していないようだが、植木さんによれば
玄奘が説明した内容を列記してある(①-P69)
1.秘密の奥義だから(呪術性をもたせる)
2.一つの言葉に、いろんな意味があるので、その一つだけ書くのは不足だから
3.中国には存在しないものを表現するには言葉がないから音写するしかない
4.昔からそのようにしているから
5.ありがたみを増すため(呪術性を高める)
下記②は日本語でやろうという試みの本で、賛成意見もあるが、
反対の意見もあって、その内容は(②-P42)
・わからんからいいのだ
・坊さんの値打ちが下がる
・僧侶の仕事がなくなる
・儀式らしくない
などの声が寄せられたらしい。
●とはいえ、仏教を見直した点もある
・「覚る」(悟る)ということの意味が非常にわかりやすく書いてある部分が
あって共感した。
「めいめいが苦悩を抱えています。 それを乗り越える、それが覚りです。
覚りは、苦行をやって得るような特別なことではございません。
それぞれが納得いくこと、それが覚りなんです。
それぞれの在り方があっていいのです」 (④-P133)
・原始仏典は、まとまった考えをのべているのではなく、例えば子供を亡くした
母親になんと言ってあげたか、 など具体的な局面でゴータマさん(釈尊)が
言ったことを書いてある。
・「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに
怨みの息む(やむ)ことがない。怨みをすててこそ息む。 これは永遠の真理
で ある」は、しみたなあ。
※1
①『仏教、本当の教え』 植木雅俊 中公新書
②『意味不明でありがたいのか - お経は日本語で』 戸次公正 祥伝社新書
③『梵漢和対照・現代語訳 法華経』 植木雅俊 岩波書店
④『原始仏典を読む」 中村元 岩波現代文庫
⑤『ブッダのことば:スッタニパータ』 中村元 岩波文庫
⑥『禅とはなにか」 鈴木大拙 角川ソフィア文庫